この連載は、文具沼にハマった事務用品バイヤーの大瀬が、あなたを深い深い文具沼へと誘(いざな)う物語。第五回は、カレンダー担当でもある大瀬がずっと気になっているという2020年カレンダー〈新TOKYOカレンダー〉や、大瀬の愛読書である「趣味の文具箱」を手がける枻(エイ)出版社さんに突撃してきました!
新しいものだけを集めた街が「新しい東京」ではない
―大瀬さんこんにちは!今日はエイ出版社さんにやってきましたが...、これまでずっと文具メーカーさんにお邪魔してきたのに、どうして今回は出版社さんなんですか?
大瀬:私は事務用品の他にカレンダーのバイヤーでもあるのですが、2020年のカレンダーの中で舌を巻いたものがありまして。〈新TOKYOカレンダー〉という、9月に販売された新商品なのですが、ご存知ですか?
〈新TOKYOカレンダー〉を持つ大瀬バイヤー。
エイ出版社 新TOKYOカレンダー(2020) 1,200円+税
―いえ、恐縮ながら知らなかったです。どういったところに舌を巻いたのですか?
大瀬:一言で言うと、一般的なカレンダーとは一線を画す異質さがあるところです。ねえ、塩澤さん。
塩澤さん:はい、そう言っていただけて嬉しいです、ありがとうございます。
エイ出版社 塩澤さん。新卒で入社し、現在2年目という若き編集者。
大瀬:こちら、〈新TOKYOカレンダー〉を手がけた編集者の塩澤さんです。先ほどご挨拶した時にまだ社会人2年目とお聞きして思わず舌を巻きました。この若さでこんなに胆力のあるカレンダーをおつくりになられたとは...。これは舌を巻かざるを得ないですよ。
―さっきから舌巻きっぱなしですね。
大瀬:あまりにも他のカレンダーとは異質だったので、つくり手はよほど発想力のあるベテラン編集者か、あるいは他業種からの転職者かなんて想像を巡らせていましたが、まさか第三の矢、自由な発想を持つ若き旗手だったとは...。
塩澤さん:本当にありがとうございます、恐縮です(笑)。
―具体的にどういったところが異質なのですか?
大瀬:最も驚いたのが、毎月のページをめくっていると不意に飛び込んでくる、この中面ページです。
―...え!?
大瀬:ほら、舌を巻きますでしょう?
―こちらのカレンダーは〈新TOKYOカレンダー〉というお名前ですよね?その名からして、てっきり東京の綺麗な街並みとかがカレンダーになってるのかなと思ったんですけど、この写真が新しい東京ということですか...!?
塩澤さん:私は東京出身なので20年以上、この街とともに成長してきました。そのなかで強く感じているのは、東京が年々綺麗になっていくなということです。ただ、それだけが本当に新しい東京と言えるのかはずっと疑問だったんです。
―確かに、綺麗になっていく側面ばかりが注目されている気がしますね。
塩澤さん:でも、東京のよさってそれだけじゃないと思うんですよ。大瀬さんが最も驚かれたというこのページの写真は、秋葉原にある電気系のパーツ屋さんで撮られたものです。
今の秋葉原はまた別の顔としての人気を誇っていますが、昔の秋葉原と言えばメカニックなマニアアイテムが所狭しと並んでいる街だったはずで、時代が進むほどにこういった面影が見落とされがちだなと思ったんです。
もちろん、別の顔の秋葉原を否定するつもりはありません。ただ、そちらばかりを取り上げて「新しい」と捉えるのは違うのかなって。東京ってもっと懐が深くて、色んなものが入り混じっているところが"らしさ"だと思うので、昔ながらの価値観と、昔にはなかった価値観が絶妙に調和している姿こそが、本当の意味での「新しい東京」にふさわしいんじゃないか。そういったメッセージというかコンセプトをもとに、このカレンダーをつくったんです。
他にもたとえば個人的にも好きなのは、こちらのページです。
大瀬:私もこのページ、大好きです。
塩澤さん:ここは新宿にある飲み屋街なのですが、新宿だったら高層ビルとかを被写体に選びそうなものじゃないですか。それをあえてここにしているのがこのカレンダーのよさなんですよね。
大瀬:私自身もこういった路地裏がとても好きで、お酒はあまり飲まないので店内には入らないんですけど、雰囲気は好きなのでよく横丁の通りをふらりと歩いては、飲んでいる人たちを見てニヤニヤしています。
― 一風変わった楽しみ方ですが、この雰囲気のよさはわかります。
大瀬:東京にはまだまだこういうところがあって、そのよさを塩澤さんのような若い方がわかってくれているのはとても頼もしいですね。
若い世代が楽しめるようなカレンダーをつくりたい
大瀬:先ほど、塩澤さんからこのカレンダーに込めたメッセージについてお話しいただきましたが、表紙のこの写真が最もそのメッセージをわかりやすく表現していると思います。
新宿の高層ビルのシャープさと、飲み屋街のワイワイとした雰囲気の調和を見事に表現しています。
塩澤さん:ああ〜、そうですか、そう言っていただけてとても嬉しいです!表紙の写真選びはとても悩んだので...!昔ながらの価値観と、昔にはなかった価値観が絶妙に調和している姿こそが本当の「新しい東京」とさっき言いましたが、"絶妙に調和"って、言うだけなら簡単で...(笑)。昔に寄せすぎるとディープ感が強くなりすぎるし、逆に寄せると無難な感じになる...、そこのベストなバランスを見定めるのは本当に大変でした...!
インタビュー時は他の表紙写真候補を見せてくださいました。ここから選ぶのは確かに難しそう...!
―ところでこれらの写真はどなたが撮っているのですか?どれも世界観が確立されていてとても素敵...!
塩澤さん:RKさんというフォトグラファーが撮っています。交友関係はなかったのですが、RKさんのSNSでこういった写真が投稿されていたのを偶然見つけたんです。
―それですぐに連絡を取ったのですか?
塩澤さん:いえ、RKさんのことを知ったのは大学生の時だったので、その時は特にアクションを起こすには至らなかったです。ただ、この会社で企画をする立場になってからは、いつか一緒に仕事をしたいと思い続けてきました。
大瀬:今回の企画は、満を持して打ち出した企画だったのですね。
塩澤さん:そうですね、ここぞとばかりに企画案を出しました!
大瀬:普段からバイヤーとして数多とあるカレンダーを見ているからわかりますけど、〈新TOKYOカレンダー〉はかなり攻めた企画じゃないですか。社内でこの企画はすんなり通ったのですか?
塩澤さん:いや、大変でした(笑)。カレンダーというジャンルは基本的にそんなに攻めた企画を立案することはないので、先輩方にとってはこの企画はかなり異質に見えたと思います。ただ、どうしてもRKさんとやりたかったので、とにかくやりたいと頑固に突き進みました(笑)。
大瀬:若さは強くて美しい...。
自身のアカウントのフォロワー数は約37万人で、海外メディアにも多く取り上げられるRKさんの写真。これまで撮ってきた東京の姿の中から、今回のテーマに沿って塩澤さんが候補をセレクト。RKさんと話し合いながら、どれを採用するか決めていったそうです。RKさんのインスタグラムアカウントはこちら>>
塩澤さん:特に私たちの世代は、デジタルツールなども豊富にあるので、アナログなカレンダーをあまり必要としなくなっている事実は実感としてあります。ただ、だからといって若い人たちにカレンダーをアピールすることを諦めるのではなく、その世代に合ったカレンダーのあり方をご提案すればいいと思ったんです。それがこの〈新TOKYOカレンダー〉で、たとえその月が終わってもポスターのように部屋に飾って毎日見たくなるようなものなら、きっと楽しんでいただけるはずです。何より、その世代の私自身が欲しいと思えたものですから!
大瀬:私は文具の中でも長い歴史を持つ定番品が特に好きなのですが、一方で歴史が浅くとも、すぐれた品質と確かな矜持(きょうじ:プライド)を持ったものがあることも理解しているつもりです。塩澤さんが若い世代に響くようなカレンダーをつくることで、従来のカレンダーの魅力が浮き彫りになることもあるでしょうし、その逆も然り。
古いものと新しいものは表裏一体で、それぞれのよさを見つめていくことが肝要なのだと、今回のお話を通じて教えられました。商品を日々仕入れることは、日々学ぶことと同義。これからのバイヤー人生にまた一つの光明が見えました、塩澤さん、誠にありがとうございました。
好きだからこそ、どこまでも掘っていける
―いやあ、濃厚な対談でしたね。長い間お邪魔してしまいましたし、そろそろ帰...
大瀬:いえ、ここからは少々私の個人的趣味の範疇なのですが、実はエイ出版社さんに訪れたのにはもう一つ理由がありまして。
―え...いつの間に何を持っているんですか...?万年筆と...「趣味の文具箱」?
大瀬:ええ、私は定番文具の他に万年筆がとても好きで、雑誌「趣味の文具箱」の万年筆特集の際は必ず目を通すようにしているのですが、拝読していていつも思うんです。「この雑誌をつくっている人が浸かっている文具沼は底無しか」と...。
―...つまり、趣味の文具箱はとてつもなくマニアックということですか?
大瀬:左様。今回は短い時間ながら趣味の文具箱の編集長を務める清水さんとお話できることになっているので、文具沼の深淵を少しだけ覗きたいと思います。ということで清水さん、よろしくお願いいたします。
清水さん:よろしくお願いします!
エイ出版社 趣味の文具箱 編集長 清水さん
―清水さんもいつの間に...!よろしくお願いします!
大瀬:早速ですが、先日の特集「万年筆インクが大好き!」には舌を巻きました。特に心を動かされたのが綴じ込み付録のインクカタログです。日本全国のインクをとにかくかき集めて、その色をひたすら紹介するという企画ですが、その種類はなんと1,517色ですよ!?
全国各地に散りばめられた様々なインクのリアルな色がこのチャートに勢ぞろい!印刷の具合によっても色合いが変わってしまうので、本物の色に近づけるために色校正をするのも大変だったのだとか...。なお、この号では他の特集でもインクを紹介していて、それを合わせると2,000色以上のインクを紹介しています。
―1,517色!?気が遠くなる数...。
大瀬:しかも有名なインクだけならまだしも、地方の文具店が独自でつくっているインクなどもカバーされているので、これだけ集めるのも果てしなかったと思うのですが、一体どういった心持ちでこの特集をつくっていったのかを純粋に知りたくて...いかがですか?
清水さん:記事づくりの深さはかなり意識していますね。かつては最新の情報をいち早くお届けするのが雑誌の大きな役割だったのですが、今やスピードではインターネットにはかないませんし、情報量も内容も日々変化しています。そこで雑誌としての価値を高めるためのひとつの方法として、情報の数をたくさん掲載することと、それぞれの情報をより深くしようと試みました。
―なるほど、でもここまで突き詰めるのは大変そう...。
清水さん:趣味の雑誌づくりの基本は「好き」なこと。大変なことも沢山ありますが、メーカーやお店の方、そして読者やユーザーの同じ「好き」という志を持った方々と雑誌づくりをすることは、とても刺激的で楽しいです。この雑誌が世に出る以前、1990年代の万年筆は、今に比べてとてもマイナーで、古くさい道具、といった雰囲気でした。雑誌の深い情報が元になって、多くの万年筆ファンが増えてきていることにも、とてもやりがいを感じています。
大瀬:やはり、好きだからこそ突き詰めることを楽しめるんですね。
清水さん:そうですね、結局はそこに尽きると思います。
―ちなみに、大瀬さんは万年筆を何本くらい持っているのですか?
大瀬:うーん、数えたことないのでわからないですけど、100本くらいでしょうか。
清水さん:普段はどのような万年筆を使っているのですか?
大瀬:こちらです。
左から
プラチナ万年筆 プレピー 400円+税
ツイスビー エコ 5,000円+税
プラチナ万年筆 プロシオン 5,000円+税
※写真の〈プロシオン〉には〈ツバメノート〉さんのステッカーが貼られていますが、大瀬バイヤーによるカスタマイズです。実際の商品には貼られていません。
清水さん:なるほど。この3本にしている理由は何なのですか?
大瀬:気軽さと書きやすさです。昔はもっと高級ラインを普段使いしていたのですが、傷を付けないように布でくるんで持ち歩いていたんですよ。ところがある日、うっかり布ごと洗濯機で洗ってしまい、包んでいた複数のペン先などがあらぬ方向に曲がってしまったことがありまして...。それ以来、高級ラインは一切の外出を禁じたんです。
なのでこの3本は、壊れてしまってもよいと言うとちょっと語弊がありますが、より気軽に使えて、かつ書きやすいものを選んでいます。
清水さん:高級ラインにはまりつつ、最終的な普段使いはライトなものに落ち着くあたり、かなりの玄人ですね。それに普通、こういった取材の場では自分のマニアっぷりを披露したいがために、選りすぐりのものを持ってくるのが人間の性じゃないですか。それにも関わらず、徹底して家から出さないところにも並々ならぬ万年筆愛を感じます(笑)。
大瀬:清水さんほどじゃないかもしれませんが、私も万年筆や文具には注いでいる情がありますから...(笑)。しかしお互い、心地よい文具沼に浸かっていますね。これからもそれぞれの立場から文具界を盛り上げていければと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
おわりに
ハンズ歴29年の大ベテラン、大瀬が、定番の事務用品を始め、様々な文具の魅力に迫る連載記事。第五回は、カレンダー界に新風を吹き起こす〈新TOKYOカレンダー〉と、大瀬も思わず舌を巻くマニアック文具雑誌「趣味の文具箱」に込められた思いなどをお聞きしました。そして次回は「ホッチキス」で有名なマックス株式会社さんに突撃取材。乞うご期待!
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